1800年代後半
角膜を切開して、屈折率を変えるという発想がありました。
1939年
日本の佐藤氏が初めて角膜を切開しての近視矯正手術に成功。角膜の両面に放射状の切開(RK)を行う方式世界的に高い評価を受けるも、時間経過とともに角膜の混濁することが明らかになる。
1972年
ソ連のFyodorov氏が、角膜の前面のみ切開(RK)する新しい方式での屈折矯正手術に成功。これにより、角膜混濁の問題が解消される。しかし、精度がよいとは言えず広くは浸透せず。
1980年代
アメリカで開発された「エキシマレーザー」が屈折矯正手術に使用され始める。ミクロン単位の正確さで、生体組織の切開や切除ができるようになる。
1988年
McDonald氏がアメリカで初めて、PRK(Photorefractive Keratectomy)を行う。角膜を切開するRK方式よりも、精度の高いPRK方式が主流になる。
1990年
ギリシヤのPallikaris氏が、初めて「レイシック」を行う。
1995年
FDA(アメリカ食品医薬品局)がエキシマレーザー治療による屈折矯正手術を認可。しかし、屈折矯正手術の主流はまだPRK方式だった。
1998年
レイシック方式がPRK方式を上回り、主流になる。視力の回復が早く、術後の痛みが少ないことが評価される。
2000年
日本の厚生労働省が、エキシマレーザーによる屈折矯正手術を認可。日本でもレイシックが受けられるようになる。
PRKが主流となっていた1996年〜1997年前半は、症例数も少なかったのですが、1997年後半よりレイシック手術が広まり、驚異的な伸びを示すようになりました。
1999年から症例数は飛躍的に伸びていて、2005年アメリカでは、130万症例を超すレイシック手術が行われています。
アジアの中でも韓国では、早くからエキシマレーザーが導入されており、台湾、シンガポール、そして国産のエキシマレーザーを開発した中華人民共和国でもPRK、レイシックが行われ始めました。
日本では、2000年に2万人、2005年には7万人がレイシックを受けています。